背中がアホみたいになっとるわ

そのうち文章力上がると信じているので、今は生暖かい目で見守ってください。

21歳になるまで地頭だけで生きてきた結果

自分に対しての自信がとことんなくなってきた。自分自身に対してここ最近思っていること

 

 

1つ目は、「自分は思ってたよりずっと我慢ができない」ということ。

 

試験前に集中的に勉強することや、しんどい作業を1日中行うことはそんなに苦じゃないので、ずっと自分は我慢強いタイプだと思っていた。

だけど、そのしんどいことが長期的に続くと、(しょうもないことだけど、「バイトが週3回ある」とか、「単語帳を1日10ページ進める」とか)自分は途端にだめになる。しんどくなる。

 

それは当たり前のことかもしれない。「努力も1つの才能」というように、そういったことを頑張れる人がすごいだけなのかもしれない。

だけど、自分が「そういう」人間じゃない、ということに気づいたとき、ものすごい劣等感を感じた。

 

 

上記に関連した話で、2つ目は「自分は地頭がいいだけで、ここまでそれだけに頼ってきて生きてきた」ということ。

 

自分で言うのも恥ずかしいが、自分は相当頭が賢い方だった。全国で有数の進学校に進学した時も、周りには「地頭が本当にいい」と言われてきた。教師にも言われた。大学受験も、正直そんなに勉強しなかったのに今の大学に受かったのは、どう考えても才能に近いものだと思う。

 

だけど、地頭が通用するのなんか全員がほぼ同じ環境にいる高校までで、大学に入ったらそれ以上に自分の行動力が大事になってくる。そんなことは分かっていたはずなのに、自分は大学に入ってからも自分の才能を過信し、特に何も行動を起こすことなく今まで来てしまった。

 

歳を重ねれば重ねるほど、自由になって、いろんな機会も増える。だけど、それはただ目の前に提示されているだけで、自分から行動を起こさないと掴めない。そんな話、今どきどこにでも転がっているのに、自分は自分自身の才能が勝手にすべてを解決してくれると信じてしまった。

 

今でも、定期試験を直前の勉強で乗り切ったり、その場だけをなんとかしのぐことは得意だと思う。だけど、そんなことばかりを繰り返していても自分自身の成長には全く繋がらない。むしろ、変に小手先だけ上手になって、退化してしまっているように感じる。実際、大学に入った時の自分と今の自分を比べたら、間違いなく今の自分の方が体力面、精神面、学力面では劣っているとは思う。

 

 

そんなことに気づいたのが、本当に最近だった。3回生の前半までサークルが忙しいこともあったけど、自分が本当にどうしたいのか、どうすべきなのかとか、一切そういうことを考えずに大学4回生を迎えようとしている。留学だってしとけばよかったし、インターンにだっていっぱい申し込んでおけばよかった。大学生活をやり直したいと心から思います。

 

 

犬が生き物だと思う時

今、茶色い犬と一緒に寝ています。

 

家には茶色い犬と黒い犬がいます。ペットです。かわいいです。

 

こうやって布団に入って一緒に寝てると、体温のあたたかさとか、呼吸するたびにふくらむ体とか、そういうのが直接伝わってきて、「この子は生きてるんだ」ってすごく思います。

 

普段はペットとしてのフィルターを通してこの子を見てます。かわいいな〜とかいいながらお腹撫でてあげたり、頭をさすってやったりしてかわいがっています。

 

けれど、この子が寝ている時、近くにいると、この子も1つの生命体なんだ、って強く思います。当たり前のことなんだけど、この感覚はペットを飼っている人にしかわからないかもしれない。

 

この子は自分より早く死んでしまうので、できれば最後の瞬間まで面倒を見てあげたいです。せっかく自分の家に来てくれたのだから、できるだけこの子が楽しいようにしてあげたいな、と思いました。

2019年

2019年になりました。もうすぐ大学3回生も終わりです。

 

あけましておめでとうございます、と本来は言うべきなのですが、自分はというと年末に食べた鳥刺しに当たったと思われる腹痛と高熱で元日からベッドとトイレをゾンビのように行き来していました。今でも少しお腹が痛いです。(カンピロバクターと言うらしいです)

 

おかげでせっかくのお正月なのにおせち料理を食べていません。ゼリーしか食べていません。正月痩せしそうです。

 

2018年が終わる時にこの1年間を振り返ってみて、どんな1年間だっただろうって考えた結果、自分はこの1年間何もしていないということに気づきました。

なので、2019年は「何でもいいから成長を感じれる1年」にしよう、と考えていた矢先のこれです。出鼻をくじかれるという言葉がぴったりだと思います。

 

まあでも、「この日から頑張る!」みたいに区切りを意識しすぎてもいいことないと思うので、最初つまづくくらいでいいのかなって気もします。(ちゃんとそのあと挽回できればの話)とりあえず3月に受けるTOEICの勉強と、後期試験の勉強頑張ります。おしまい。

 

f:id:Fn_yus:20190104004942j:image

 

写真が下手すぎますが、これはこの前食べたラーメンです。二郎系ラーメン食べた〜〜

10/28

今日はいいことがあったので書こうと思います。

 

今日はバイトの研修で東京に行ってました。

1.5hで終わりました。1.5hの研修のために関西から東京までの交通費が出るような会社です。

 

研修までの間時間があったので、文京シビックセンター小石川後楽園に行きました。

 

f:id:Fn_yus:20181028205448j:image

 

f:id:Fn_yus:20181028205516j:image

 

f:id:Fn_yus:20181028205551j:image

 

ここは、自分が2年前、初めて1人で東京に来た時に来た場所で、研修先からも近かったので訪れようと思って行ってみました。

 

2年前に来たときは東京に初めて来たということもあってか、この景色とこの庭園にすごく感動してテンションが上がってたけど、今日行ってみると展望パノラマからみる東京の景色はなんかとても不安になったし、小石川後楽園も2年前ほどの感動はなかったです。

 

景色を見て不安になったのは、「こんなにビルや家がいっぱいあるところで、膨大な数の人間 

が本当に生活しているのか、自分はできる自信がない」って思ったからだと思います。この思いは、ここ最近東京に来るたびに思います。

 

そもそも自分は、関西の大学か東京の大学に行くかを悩んでて結果関西の大学に行ったのですが、それ以降「東京の大学に行かなかったのは自分が東京に行くのが怖くて、逃げてるからじゃないか」という思いがずっと胸の中に重く沈んでます。今日、文京シビックセンターからの眺めを見て、改めてその思いがよみがえってしまいました。

 

そんな気持ちの中、バイトの研修を受けて、帰りの新幹線に乗りました。

 

夜だし外の景色見えないし暇なので、昨日から見始めた「宇宙より遠い場所」というアニメを見きることにしました。簡単にいうと、女子高生が南極を目指す青春アニメです。

 

そのアニメの12話を見て、新幹線の中でめっちゃ泣いてしまいました。

 

なかなか泣いた理由を言葉にしようとするとアニメ全部の説明をしないといけないのでしませんが、このアニメは中盤観てる頃から目がうるんでしまったので終盤で泣く気はしてました。それでも思った以上に泣いてしまった。

 

別にそれは、アニメの主人公に自分を重ねたとかじゃなくて、単純にいい話だったからなんですが、なんかそれですごいもやもやもすっきりして。

 

「女子高生が南極に行く」なんていうのは非常にバカバカしくて、実現不可能に思えます。(実際アニメの序盤ではどうやってこの子たちが南極に行く方法を手に入れるのか、見当もつかないんですが、)

でも、最終的には(最終的と言っても4話くらい)自分たちの力で南極行きの切符を手に入れる。その経緯がすごく自然で、ありえそうな経緯なんです。

 

自分は大学に入ってから、サークルは頑張ってたけど勉学面は全然ダメで、本当にどうしようもない2年半を送ってきたし、実際今も送っている気がします。

 

子供の頃、まわりの人に本当に賢い、なんでもなれるって言われてきて、その言葉が今、何にもなっていない自分に10年越しくらいに呪縛のようにからみついてきています。

 

結局、東京云々の話も、今の自分に納得がいっていないから思ってしまうのだと思います。自分が今こんなにダメなのは、あの時東京に行かなかったからではないか。あの時行っとけば、とか。

 

でも、このアニメを見て、そう思うなら今からでも遅くない、なんでもできるって、バカバカしいけど本当に思えた。最近少し研究室訪問とかし始めて頑張りだした自分に、さらにスピードを与えてくれた気がします。もう一回見返したいアニメです。

 

もうすぐ新大阪です。

1日寝かせたカレーがめっちゃおいしいと連絡がありました。楽しみです。

 

 

ふたり、人生、自由が丘

おはようございます。

 

友達とFIFA17というゲームをしてたらこんな時間になってしまいました。外はもう明るくなりかけてて、蝉が鳴いてます。絶望的です。

 

夏休みが始まっています。大学生に入って、多分一番暇な長期休暇です。一人暮らしで何もやることがないと、こんなに暇なものなのかと驚いています。

 

でもやっぱり、なにもやることがないというのは最高です。こんなに幸せなことがあっていいのかなって思います。若干本当になにもしなくていいのかなって不安になります。

 

僕はチャットモンチーが好きなのですが、そのチャットモンチーの曲の中に「ふたり、人生、自由が丘」という曲があります。

 

曲はまあ、男女(たぶん結婚かその直前くらい)の幸せを歌った歌なのですが、その出だしがこういう歌詞から始まります。

 

「ずっとこんな日が続けばいいのにと思った」

 

本当に最近、この思いしかないです。なにかが特にあるわけではないけれど、適当に寝て、適当に起きて、適当に大学行って、適当にご飯食べて、適当に友達と遊んで、、という今の自分のこの生活が死ぬまで続けば、どんなに幸せだろうと思います。

 

でも今のこの生活は、親だったり、いろんな要因のおかげで成り立っている生活で、自分が頑張って得たものだけで成り立っているわけではないです。なのでそんな考えは現実的でないし、甘い考えだっていうのはわかっているのですが。

 

別に何かを成し遂げたいわけじゃない。本当にこんな毎日がずっと続いて、それが死ぬまで続いたら、本当に楽しい人生だろうなって思います。そんなことが不可能でも、ちょっとでもそういう気持ち、幸せな毎日が続いたらいいなあっていう気持ちを持ってれば、たとえしんどい時でもそれなりに楽しめるんじゃないかなって思っています。

 

まあつべこべ言わず頑張ります。そろそろ勉強も。僕は今から寝ます。おやすみなさい。

 

価値観が合わない

最近、「価値観が合わない」ということを考える。どういうことなんだろう。

 

自分が高校生までは、こんなに他人がどう考えているか、ということを意識したことがなかった気がする。

性格の合う、合わないで判断して、結局そこに関してはあまり掘っていなかった(考えていなかった。)

 

正直、細かいところで価値観が合わないのはどうでもいい。会計を先に集めたいかレジで個別に払うかとか、旅行に計画を練ってから行くか、行き当たりばったりで行くかとか。

 

自分が大学生になってから、「自分は人生の中でこういうスタンスでいきたい」みたいなことをよく考えるようになった。

それが今、ある程度自分の中で形になってるんだと思う。

その価値観は、自分の今後の人生を生きて行く上で基礎だと思っている。

 

だから、そのスタンス、自分なりの価値観は、自分にとって「正しい」ものでないといけない。そうじゃないと、自分が生きて行く上ですごいしんどい思いをしてしまうと思う。

 

結局、「あの人は価値観が合わない」とか、「生理的に無理」っていう思いは、その人の価値観を認めてしまうと、自分の持っている価値観に迷いが出てしまうというところから生まれるものではないのだろうか。

つまり、他人の価値観を認めないのは自分を守りたいという思いから出てくるものじゃないのだろうか。

 

最近の自分は、価値観を認めたくない、でもそうやって頑固にならずに認めないといけないという思いが交錯した結果、「そういう価値観、スタンスもあるよね、でも自分は変わらない」という、なんとも中途半端な立場になってしまっている気がする。

 

それは、他人の価値観を認めているようで、実際に自分自身の価値観を変えるつもりはない。

その他人の価値観を深く考えずに終わっているので、実質的には認めてないのと同じなのではないのかなと思う。

 

でもそうじゃないと生きていけなくない?逆になんでも吸収しようとする姿勢の人って、自分がないのかなって逆に思ってしまいます。でも自分の殻に閉じこもってる人に対しても、なんでそんなに内向的なんだろうとも思う。

じゃあ果たして自分がその中間をいけているのか?って言われると、多分自分は内向的な方に入るし、自己矛盾が激しいんですが。

 

折り合いをつける、っていうことをしてるようで、実際にはつけた気になって、自分の価値観は全く変わってないのではないかなと思った今日でした。

 

帰省した

ブログを始めます。多分続かないです。


前にも書こうと思ったことがあって、その時も続かなかったので多分続きませんが気が向いたのでやります。日記気分でやります。


今日は帰省しました。


実家だとやることがないので、ご飯をもりもり食べて、テレビをだらだら見ながら犬と戯れるくらいしかやることがありません。


最高です。


一人暮らしの家だと一人でだらだらゲームでもしながら2時くらいに寝てるのですが、今12時半ですでに布団にいます。


実家と一人暮らしの自分の家だと、流れてる時間があまりにも違いすぎて、なんか別の世界にいるような気分になってきます。


一人暮らしの家だと夜の12時すぎてもなんとも思わないけど、実家だとリビングで寝落ちする父も含めて12時より前にみんな就寝するので、その分夜が短く感じます。


そしてみんな寝た後、朝は7時くらいに起きて活動を始めます。健康的です。

自分の一人暮らしの家だと、7時に起きても布団でだらだら携帯いじったりしてるだけなので、その時間に実家では朝ごはん食べて父は出勤して母は家事をして、、という活動が営まれていることが全く信じられません。


そのくらい自分の「朝」は始まるのが遅いです。(よく全休してるし)


そういう意味で、帰省すると別世界に来たような気分になります。こっちの世界の生活には憧れるけど、結局帰ったら自分の世界の生活から抜け出せません。


長すぎたら余計続かなさそうなのでここまでにしときます。


おわり